 |  | 視力障害に立ち向かうI君
「あの〜、最近段々見えなくなってくるんです。」発作を起こす回数がこの半年前から確かに多くなっていた。2年前にベーチェット病の病名を知らされたI君は今26歳。彼の波乱万丈な生き方に、私は冷静な眼差しを向けなければー。 I君、2年前までは健康を省みることも無く元気な若者だった。元気なといっては語弊があるかも・・14歳頃に両親の不仲から彼が暴力団の仲間入りして暴走族の一員となり、その若さとはち切れんばかりの腕力を持て余し、その発揮するところは暴走への道にまっしぐら。金はあった。高校は受かったものの次第に通学の方向ではなく暴走仲間の甘い誘いに足が向き、1年目で退学。彼曰く「荒れた生活でした」と。しかしバイクで暴走し突っ走っても虚しさは募り、19歳半ばにその道から足を洗った。「体ボコボコになりましたよ。」タバコの煙をゆっくり潜らせながら、当時を思い起こしたように話始めた。暴走族からの縁を切るためには、その道の儀式がある。どんなに統率力のあるボスでも、娑婆に戻るためには全員で気合を入れた儀式を受けると言う。そのため暴走族から抜け出したくてもその恐怖から抜け出せない若者も多いとの事。娑婆に戻ったI君は、運送業に就職。車が好きでそれを仕事にしたいと大型免許もすぐに取得。その後夜間の長距離トラック運転手に変身。「20代で100万以上稼ぎましたよ。」その金で手にした大型トラックと乗用車は、現在まで仕事の糧となり彼の生きがいの車でもある。漸く人並みの社会生活を歩み始め、自立していく事に目覚めた矢先に異変が起きた。運転しながらなんとなく眼が霞んで見にくかったが、しばし放置。そうこうするうちに段々見えにくさを意識し始め、眼科を受診。当初は不明だった。その後I君 の病名は難病に指定されているベーチェット病の疑いが濃くなった。彼はまさか・・信じられない。そんな思いがまた暴走族に走った時のように気持ちがすさんでいった。病院に診察に来てもブスッとして誰とも口を聞かず「うるせぇい。」、後姿は精一杯病名と視力障害に抵抗していたと推察する。 そんなI君、院長先生だけは信頼していた。医療者の誰とも口も利かずに何も言わず、しかし院長先生の診察と指示された薬と点眼はきちんとした。時折眼圧が上昇し急激な眼痛や眼圧上昇に伴う吐き気や嘔吐も出現するが、薬服用でなんとか一進一退を繰り返していた。発作的に起こる眼圧上昇から視力障害は徐々に進行してきた。本当にベーチェット病なのか?彼は眼の症状や消化器症状の出現とともに、次第に自分がついに難病にかかってしまったのか、しかし未だベーチェット病の症状が当てはまっているわけでもなく、病名が違うのではないかと心のうちでは否定し続けている。そんな彼が視力障害のため生活の糧としている運転ができなくなるのではと不安が募ってきたころから、外来の主任に自分から話しかけるようになってきた。「あのー、見えにくいんです。これから仕事が続けられるかどうか・・・。このままだと折角購入したトラックも、まだ借金が残ってるのに、手放さないといけないのか・・金もないんです・・・」「ご両親は?そのことはご存知なの?」「いや、お袋には絶対言いたくもない。」それからである。ご両親は彼の多感な思春期に不仲となり離婚。そのいたたまれなさを暴走仲間や暴力団と付き合い始め、親とはまったく絶縁状態となったことなど、彼は閉ざしていた心の内を氷解していくかのように語り始めた。そんな話をした後から心の許せるスタッフとだけは彼から話すようになり、見えなくなるのでは・・という心の不安定さを表出し始めてきた。薄幸な成長過程があったとはいえ、母親のI君への愛情は本人に内緒で院長から話を聞きに来院されている。親のひた向きな姿がそこにある。彼は今、視力障害の方向へ進んでいることは事実である。若い彼がこれから先、視力障害を冷静に受け止め、どのような生き方をしていくか。 私にむけられた彼の眼差しに、眼科ケアの本質を問われている気がする。 若木さや |  |  |  |  |  | |  |
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